アンジュフォーラム2019「まちを創る」-2


  講演② 川口 剛さん (北海道テロワール)


今回聖子さんから頂いたお題、「まちを創る」は非常に壮大なテーマです。振り返っていくと、自分は子どもの頃から「まち」に興味があってまちを単位に、あるいはまちの視点で物事を考えてきたような気もします。そんな生い立ちも含め、まちってどういうものなんだろうと、皆様とご一緒に考えてみたいと思います。

(スクリーンに「62」「7万5000」の2つの数字)毎年色々な場所で色々な街を目にしていますので、2018年について数えてみました。去年1年で62泊し、うち47泊が海外です。そして7万5000マイル飛行機で飛んでいますから、地球約3周分ですね。今年もだいたいこの半分くらいはすでに飛んでいて、実は、昨日スペインから帰ったところです。

「まち」は非常に広義な言葉です。街、町、都市とかいてまちと読ませたり、街場の意味でマチとカタカナで書かれたりします。僕の先輩で大学教員をしている方は、用語としての「まち」をひたすら研究しているほどです。では「まちって何か」と聞かれたら、私は「人間が永続的に営みを続けられる地域」の事ではないかと捉えています。今日は、そう考えるようになった経緯を含め、お話したいと思います。

“まちの心地よさ”を探る世界旅

人の営みに必要なのは、衣食住です。先ほどの考えに基づけばもうひとつ、生きるための職、仕事がないと地域としては継続しないんじゃないかと考えました。私は神奈川県生まれで、逗子市で生まれ、葉山町というところで育ちました。人からは、いいところですねとか、石原裕次郎の海ですよね、などと言われます。確かに絵として切り取ればきれいなところで、小学校の夏休みには自転車で海に行って毎日遊んでいたわけですが、実は今思うと、まちとして機能していなかったかなと思います。逗子市は人口5万人、葉山町は3万人。在住の作家や画家のような方は別として、私も含め多くの人は東京へ通勤して生活が成り立っています。衣食住職のうち、職の部分が地域に足りない。その事に気付かされたのは12歳から18歳。中学高校の通学に片道1時間半かかるのです。年間250時間、人生の8%を通勤で消費すると思うとゾッとするわけです。毎日葉山から学校まで通っていました。横浜行きの新快速で、始発電車に乗ると座って行けたのですが、当時の東京の通勤電車って、想像を絶する混雑でした。当時は“押し屋”がいて、車両に人を押し込んで扉を閉める、そんな事がまだ行われていた。座っていても、目の前に立っている人がものすごい形相で耐えています。新聞を読もうにも折り畳まないと読めないし、肘が当たれば舌打ちが聞こえる。人生の8%をそんな風に費やすのは嫌だなと思いました。そんな体験も影響して都市について勉強したいと考え、大学では建築と都市計画を専攻します。入学当初はコミュニティよりも、風景というようなものに惹かれていましたが、ある時、人の営みのほうにより興味を持つようになります。(学生時代は)山を歩くのが非常に好きで、19歳の夏、ひとりでトレッキングしようと、テントと寝袋を担いでニュージーランドへ行きました。現地でパブに行き、ビールを飲みながら話している人たちの姿に衝撃を受けました。なぜみんな、こんな風にいい距離感で話しているんだろう。寝袋を持ってきているのに、まちに滞在してパブに入り浸りました。当時の日本人の旅行はまだ、グループで行って内輪で盛り上がる旅だったように思います。でもニュージーランドのパブに来ている人たちは、めいめい1人できた同士が盛り上がり、また1人で帰っていく。それがすごく面白かった。

次の旅はたまたまスペインでした。当時いろんな国に行きたかったので、印刷工場で週6日夜勤のアルバイトをしていました。工場のラジオから流れるホンダアコードのCMでマドレデウスというポルトガルのグループの音楽を聴き、「ああ、この音楽が生まれる国に行ってみたいな」と思ったんです。リクルートの情報誌で一番安いポルトガル行きのツアーを探して、当時インターネットもなかったので旅行会社に電話してみると、ポルトガル行きの飛行機はトランジットのためモスクワに一泊しなければならない。それなら陸路で入ろうと考え、偶然に初めてスペインに行きました。マラガというまちで仲良くなった友人と2人、バルのテラスで飲んでいたのですが、彼の友達が前を通る度に一緒に飲み出す。その知り合いの知り合いが前を通るとまた一緒に飲み出す。結局、飲み始めて1時間もしないうちに15人くらいになった。約束していたわけでもないのに、一体これはなんだろうと。自分の中では想像を絶する出来事で、それがスペインへの興味の始まりでした。在学中も何度かスペインを訪れ、大学卒業後にしばらく滞在して地中海の人たちの暮らしを調べていました。他にもモロッコでベルベル人と飲み友達になり、イギリスのパブで飲み、フランス、ベルギー、クロアチアに行き…中国の設計事務所で30キロの河の両岸に都市設計をするコンペに加わったりしました。そんな中、僕が最も影響を受けたのがバルだったのです。

barとは横長のもの。カウンターバー、もしくはバーの足掛けのバーが語源といわれ、そこからお店そのものを表す語になったといいいます。実際まちなかにバルがどのくらいあるかをつぶさに調べてみました。カウンターがあるお店を数え、どんなお店になっているかもスケッチし、どういう人が来ているか、飲みながら観察しました。写真はリオハ地方のログローニャという、人口10数万人のまちです。週末になると、このまちに一体こんなに人が住んでいたのかというほど、まちじゅうの人が出てきます。若者だけではなく、赤ちゃんを連れた両親がきて、スペイン名物の右手にグラス、左手におつまみを持って、足でベビーカーを揺らすという、もう既に英才教育をうけているわけです(笑)。おばあさんもおじいさんもまちに出てきて、みんなグラス片手にひたすらコミュニケーションを楽しんでいるのです。

バルは、土地の暮らしのハブなのです

いったい彼らは何を飲んでいるのか、とあるバルで調べました。朝はコーヒー、昼はビールやワイン、アルコール。このお店は朝の時間帯にも開いていて、近くの警察署のお巡りさんが12時にコーヒーを飲みに来ます。中には制服のまま別なものを飲んでいる人もいました(笑)。余談ですが、スペインの北部はワイン、南部はビールを中心に飲みます。料理はタパス、タパスはタパの複数形で、小さなおつまみです。ピンチョスはピンチョの複数形でフィンガーフード。どちらも似たようなもので、北へ行くとピンチョス、南のほうはタパス。ピンチョスのほうがより小さいものを指すのですが、これは地方によって違いがあります。このバルで、一日中お客さんの出入りの時間をチェックしました(表)。滞在時間は30分くらいの人が非常に多い。ちょっと飲んで挨拶しておしゃべりして帰っていくんですね。TVのサッカー中継の時間は前半が終わるまでお客が出て行かなくて、滞在時間が長いですね。また、次の目的地についても調べてみました。こちらはサンプル数が20くらいですが、お店を出る人の後をつけました(笑)。次の行先が100m圏内の人が8割、300m圏内だと9割以上と、非常に地域密着です。

スペイン人がどこで待ち合わせをするかについては統計があり、バルが1位になっています。日本ならば7時に新宿駅の何番出口の改札前で、などとなりそうですが、スペインでは相手が時間通りに来るとは限らないので、先に一杯飲みながら待つのがお互い気楽です。バルの定義は、一般的にスペイン版の立ち飲み居酒屋だと言われるようですが、それだけでなく、コミュニティのハブの働きをするのがスペインのバルではないかと思います。つまり、バルとはカウンターで気軽に楽しめて、地域のハブ機能を備えた飲食店なのだと思います。サラマンカ市の写真です。一杯注文するとタパスがついてきて、全く初めてこの地区に入る僕も、ローカルの人たちのコミュニケーションの中にふっと入っていける。このように、ローカルのハブ機能を持ちつつよそ者との接点にもなるのが、バルのすごく面白いところです。
社会学ではサードプレイス、つまり自宅とも、職場や学校とも違う3つめの場所の存在が、人間の充足感に寄与すると言います。レイ・オルデンバーグさんが提言しましたが、至極当たり前の事だと思います。22歳以後、東京での仕事は非常に忙しかったのですが何度もスペインへ行き、現地のバルを振り返って何が東京と違うのか考えていました。それで、スペインのバルと会社のそばのドトールコーヒーと比較してみました。ドトールではカウンターでコーヒーを受け取ったらテーブルへ行って自分のコーヒーを飲むだけですが、バルは注文する前からすでにカウンターに寄り付いてコミュ二ケーションをとっている。飲物が出てきた後も自由に店内を動いて他の人とコミュニケーションをとっているのです。

その後、28歳の時に北海道に来て、北海道の出版社から『スペインのバルがわかる本』という本を出したりもしました。札幌の街は飲食店の集積がとても多いのですが、私のようによそから来た人も含め、行きつけでない人たちがもっと気軽にお店に行けたらと考え、「さっぽろタパス」(※1)
というイベントを行いました。2008年に札幌の大通公園で「さっぽろオータムフェスト」がスタートした時には実行委員会に入り、今も続けています。当時、何か新しい事ができないかと言われて提案したのが、プレハブの窓からフードを手渡すのでなく、カウンターをつくってコミュニケーションをするスタイルです。そうしたお店を自分も出して、毎年秋には大通公園にいます。2009年には時計台の側に市民出資の「BARCOM SAPPORO」(バルコサッポロ)というお店をスタートし、12年目になります。この会場にも聖子さんはじめ、株主になって頂いた方がたくさんいらっしゃいます。
そうした間にも私は旅をして、ひたすら飲んで、食べて、飲んでを続けていました。スペインだけでなく、ポルトガル、フランス、イギリス、ドイツ、ワシントン、シアトル、オレゴン。いろんな人と飲んで街を巡る事で自分自身の興味が、まちづくりからバルそのものに移ってきました。すると、どうしてもバルの面白さの要素のひとつである食、ワイン、シードルなどに興味が湧きます。ビールももちろんいいのですが、ワインやシードルはより地域性が高そうです。ワインは地域で育ったぶどうだけを使い、シードルも地域のりんごを使うものなので、地域の反映性が高い飲み物だと思います。
食べ物も、生のアサリ、肉や魚のだし、牛のハム、チーズなどと、地のものを色々食べているわけです。カウンターの外に出て、周りにある葡萄畑やりんごの木が気になりはじめます。すると木の下には家畜がいて、農業の営みも感じられます。こうして、バルを通して地域の生活の姿に触れるのが楽しくなってきます。

人口減少するまちの、再定義に取り組んでいます

バルを通して地域に触れる旅は、とても楽しくて興味深い。ならば、北海道で逆の(旅人を迎える側の)事はできないかと思うようになり、友人の三笠市の農家の息子さんと相談しました。彼の実家の側に通っていた旧幌内(ほろない)線は、幌内炭鉱の石炭を小樽まで運ぶ貨物で、日本で5番目の鉄道、北海道で最初の鉄道です。三笠市を知っていくと、ピーク6万人台から現在の8000人まで激減しています。旧産炭地を除いては類のない人口減少で、このままでは存続が難しいのではないかと思うほどです。とはいえ恐竜の化石やアンモナイト、遺跡などの地層資源があったり、最近ワイナリーが増えて、きれいなぶどう畑もあります。それでも、人ってなかなか来ないものです。来ても、ワイン好きの方はワイナリーで試飲だけして札幌のホテルに帰る。鉄道マニアの方は廃線だけを見て帰る。せっかくなら地域にある色々な魅力をつないで、人が滞在できる方法はないか。そうしたテーマで、地域と地域の真ん中あたりにレストランと宿泊施設をつくって滞在してもらえないか。そんな事を三笠市役所に相談し、まちの方々と一緒に協議会をつくりました。場所はその昔、その上を石炭満載のSLが走った土手の脇にあり、もとはりんご畑だったと言います。それならば、りんごをもう一度植えよう。バスで来て農作業をして頂いたら、一緒に美味しいものを食べよう。そうした試みを繰り返しました。最寄りの旧駅舎、萱野(かやの)駅を一夜限りのオーベルジュにしました。昼集合して飲んで過ごし、夕暮れにキッチンを囲んでディナーを楽しむ。2年目は台風の予報で中止になりましたが、農家さんの納屋の中でみんなでご飯を食べました。こうして畑のレストラン「ekara」(エカラ)がオープンしました。(お店の画像)

まちとは、人が永続的に営みを続けられる場所。そこに必要なのは食べ物、住む所、着る物、そして仕事じゃないかというお話です。さらに、「魅力的なまち」って何だろうと考えてみました。それは営みの永続性に加えて、地域の人がその営みに誇りを感じられる地域ではないかなと思います。これは私がスペインに教わった事です。バルでもまちでも、スペインで誰かと喋っていると、自分の地域をものすごく押してきます。どうだこれおいしいだろう、飲んでみろ、食べてみろと、誇りに思っているんじゃないかと思います。その誇りが内側だけで盛り上がるだけでなく、他地域の人にとっても魅力的に捉えられる事が大切ではないかと思います。

私が思う魅力的なまちとは、中の営みが発信されて、外の人々にも触れてみたいなと思わせる、そんな場所です。私も後5年10年向き合うと、また違ったものも見えてくるかもしれませんが、皆様も今日お話しした事をぜひ加えて、ご自分のまちということを発想して頂ければと思います。//

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