アンジュフォーラム2019-3 クロストーク

クロストーク「まちを愛し、まちと歩む」

伊藤亜由美さん(クリエイティブオフィスキュー)、曽我貴彦さん(ドメーヌタカヒコ)、斉藤幹男さん(美術作家)、村岡武司さん(ギャラリー村岡)、川口 剛さん(北海道テロワール)※以下敬称略

開始までの間、斉藤幹男さんのアニメーション作品が上映されました。作品を牧歌的なこの会場で見られるのも、会の醍醐味の一つです。「今年2月、ブナの森90周年を記念したワークショップの作品です。黒松内の小学生10人ほどが未来の黒松内を描いた絵をアニメーションにし、子どもたちと一緒につくりました」(斉藤さん)

深江:さて、前半をお聞きになった皆様は、私たちの「まち」とはどんな場所であったのか、そしてこれからどうあって欲しいのか、思い巡らせて頂けたのではないかと思います。そこで、ちょっと身近に捉え直すために、5人のパネルの方々には予め2つ質問をしてあります。


Q1. これなら住みたいな、と思うのはどんなまちですか?

中国の成都から戻られたばかりの斉藤さんは、どんなまちがお好きですか。

斉藤:僕にとってはまちが文化的であるかどうかがとても重要です。写真家の友人たちから話は聞いていたのですが、数年前に初めて東川町に行った時は本当に驚きました。海外のトップの写真家たちが訪れていて住民にそれが浸透していて、僕は札幌出身で今も札幌に住んでいるのですが、なぜ札幌はそうならなかったんだと悔しいくらいでした。人口の少ないまちでそういうことができるというのは、人のつながりや情報が大切なのだろうと思いました。札幌は中途半端な都会だと、アートの人たちはよく言います。もっと大きければ凄いことができるかもしれないし、もっと小さければもっとコミュニティが凝縮されてみんなでひとつのことに向かいやすいかもしれない。札幌が好きだけれど、現代のアートは個人競技ではなくて団体競技なんです。個展だってひとりではできない。人に協力してもらってできるものなのです。

深江:アトリエにこもって自分と向き合い制作に没頭、ではないのですね。

斉藤:現代アートは違いますね。このアンジュホールの二階に置いてある(巨大な黒猫のオブジェ)作品だって、僕が作ったのはほんの手のひらサイズの模型で、実物は信頼できる職人さんに出会って、京都の工房へ何度も足を運んで生まれたものですし、先ほどの映像も子どもたちがいなければできません。色々な人の力でつくるものなんです。展示の場所づくりや、観る人も含めて。

曽我:まち、と聞いて僕が真っ先に思い浮かべるのは生まれ育った小布施町(おぶせまち)ですね。もともとは何もないまち。そこにまず北斎館。そして栗菓子屋さんが数店舗、協力しあってまちをつくった。北海道で言えばチョコレート菓子のような名物です。そこにフラワーガーデンができた。みんなに苗を配ってオープンガーデンをやったり、巻き込み型の、お祭りのようなまちづくりをした土地です。お隣の足利市は城下町で足利学校の伝統もあるけれど、そこまでのまとまりはないように見えました。北海道に来ても似たようなことを感じますが、まちが栄えた過去があると、意外とまとまりがないような気がします。がむしゃら感がないというか。北海道に初めて来た時は、知り合いの方が東川町に連れて行ってくださって、写真甲子園を続けたり、赤ん坊が生まれると道産材の椅子を贈ったり、みんなでまちをよくしていこうという、羨ましいほどの良いまちです。そんな中、余市に移り住んで有機農業をやって気づいたことがあります。山形県の高畠町では有機農業が盛んなのですが、ある地域がある時、除草剤を一回使って良いよと。あまりストイックになりすぎるのもいけないというのです。当時の僕はそれはありえない、ダメだと思いましたが、余市に来てまわりの農家を巻き込みたいと思った時、感じることがありました。草ぼうぼうで無農薬を貫いたところで、周りは迷惑を感じるかもしれない。広がらなければまちは面白くならない。皆んなでやってこそのよい考えだと思うし、継続性も生まれるのではと。小布施もそうですが、みんな自分のまちを誇りに思っているんです。いわゆる観光地としての小布施は端から端まで2kmほど、全体でも人口1.1万人、小学校が一つだけと言ったらイメージしやすいでしょうか。でも町は将来を考えています。新しく契約栽培の品種を植えようと言ったとして、うちには後継者がいないからやらない、と言ってはおしまいで、うちを継いでくれる誰かのためにもやろうという雰囲気がなければ成り立ちません。だからストイックすぎるのも良くない。きついことを言いすぎると人はついてこない。自分しかできない、というのではダメなんです。みんなもできる事をやって、みんながやり始めたら自分は次のステップへ行けば良い。余市でも農薬の飛散について訴訟が起きたこともあると聞いています。だからお隣とは仲良く。次世代が面白そうだと感じてくれる時、農村というまちが続いていけるのかなと思っています。

深江:この会の初期の回で、継ぎたくなる農業のお手本を目指すと仰ったのを覚えています。また先ほどの「当時、除草剤はダメだと思った」と仰った言葉の意味は、土の中の微生物環境がリセットされる等の理由があり、頑固な精神論ではないことを補足しておきます。

伊藤:私は、小樽で育ちました。住んでいる時は、坂も雪も多くて、昔の港町という意識の高さから、よそ者を受け入れない雰囲気があまり好きではありませんでした。でも小樽ポートフェスティバルなど、まちの人たちが作り上げるイベントに参加したり、小樽に関わる人たちとコミュニケーションを深めるにつれて、小樽も素敵なところがたくさんあって、小樽のコンテンツ作りもしたいなと思うようになりました。
東京に活動の場を広げてから改めて北海道の魅力に気づくことができ、「北海道の魅力を発信したい」という今の想いにつながっています。


アンジュの三浦さんも小樽ですね。手宮というところの酒屋の息子さんで、でも飲まないんです。お父さんには小樽ポートフェスティバルでお世話になりました。サカナクションの山口一郎さんのお父さんの保さんが立ち上げた。運河をきれいにして子孫に残そうと行動されました。それに巻き込まれたのが三浦さんのお父さんです(笑)。


深江:小樽はまちの方々が自分たちのまちを良くしようと活躍されたんですね。

川口:僕のように食べることと旅する事が大好きな人にとっては、コミュニティや関係性が可視化されている場所に住むことが快適な気がします。ここに座っているのも深江さんが聖子さんに紹介してくれたご縁ですし、亜由美さんとは一緒にスペインに飲みに行きましたし(笑)、村岡さん、曽我さんにもお会いしたかったのでとても嬉しいです。曽我さんの前でちょっと恐縮ですが、僕はワインの事を地域の結晶みたいな感覚で捉えています。行ったことのある土地のものなら、あんな風景や環境でつくったのだと思いますし、行ったことのない土地のものは、もしかしてこういう風土かなと。それを瓶を開けて解凍して口の中で再現していると思うんです。そうしたことは、生活の中で他所との接点を持つという点において非常に豊かであると。もし北海道に移住せず、北海道のワインの作り手の皆さんに出会っていなければ、自分はワイン全般においてこういう感覚を持つ事はなかったろうとも思うのです。きっと東京に暮らして世界中のワインを呑み歩いても、こうした感覚にはならないでしょう。逆にスペインのワインの作り手のところへ行くと、お前の国でもワインをつくっているかと聞かれます。お前の土地ではどういう暮らしをしているんだと聞かれます。最近、それに答えられるようになってきたことがとても面白い事で、自分の土地を説明できるようになったことで、よそを理解することにも貪欲になれている気がして、もっと進んでいきたいなと思っているところです。

深江:ものすごい頻度で旅をしていて、スペインに関する著書も二冊ある川口さんは、時々旅の報告会をなさいます。以前はスペイン大好きが一番伝わってましたが、ここ数年は北海道人としてスペインを見ているのかなと感じます。それが、今のお話で腑に落ちました。

川口:海外でお前の店はどんな店だと聞かれると、スペイン料理やスペインワインにこだわるのではなく、スペインのバルにある人とのつながり、コミュニティの観点を札幌でも取り入れたいと思ってバルをしているんだと説明しています。うちのハウスワインは北海道のワインですし、世界じゅうのワインを扱っています。むしろ色々なワインを飲んでそれが世界各地との接点になると考えていて、そうしたことは札幌にとって面白いことじゃないかなと思うんです。

深江:時の移り変わりを眼で見ることができるという風に聞こえていつも素敵だなと思います。村岡さんにとって心地よい街とはなんでしょうか。エピソードを頂けますか。

村岡:我々は元町倶楽部というグループをつくって楽しく活動していましたが、中でも一番思い出すのが“ペンキのこすり出し”なんですね。函館の旧市街地には、擬洋風木造下見板張民家というのがあり、一階が和風で二階が洋風、いわば偽の洋風建築なんですね。そこにペンキが塗られていて、100年も経つと何度も塗り替えられている。それをサンドペーパーでこすると、昔の色が逆順に現れてくる(時相色環)というものです。これがトヨタ財団の研究コンクールがあり、研究助成金500万円と、さらに研究に将来性があるから応募しろと言われ、フォローアップ助成金2000万円も頂きました。それをみんなで分けて…というのは冗談で、お金を生かす方法として公益信託をつくりました。そこで、日本のNPOを束ねるような組織の方に講演をしてもらいました。彼がいうには、人は3つに分けることができる。最も声が大きく主張も明快なのは経済人。しかし彼らは“今”が全てで、未来も過去もない。その対局にいるのが市民。先祖の過去に興味を持ち、子孫の未来も考える。市民と経済界は常に対立関係になるので、その間に入るのが行政。これで3つです。しかし彼は、日本の行政はどちらかというと企業寄りだというのです。だから日本では、市民の大切な財産、受け継いだものは簡単になくなる。だから本当に必要なのは、市民としての観点なのだと。そんな話をしてくれました。今もその時の彼の顔を覚えています。

もうひとつ、ハリー・ハンセン牧師の事もお話しておきたいですね。函館にもバブルの頃、古い建物を壊して山の景観の中に高層マンションができるということになった。そこで、我々が大事にしてきたものを壊さないでほしいと、事業主体に頼みに行きました。すると企業も当然、経済の論理で法律の範囲内でやっています、と対応されます。その時、一緒に行ったハンセン先生がきちんとした牧師服姿ですくっと立ち上がり、「とにかく神は許しません」と言ったのです。といっても我が家は日蓮宗ですが…(笑)確かに経済の論理だけでなく、神は許さない、という視点が重要なんだろうと思いました。神が許せる範囲、リンゴを食べる前の世界、それなら住んでもいいかなと。むしろ、これからはそうでないと色々な意味で行き詰まっている気がします。

深江:小樽同様、函館も商業のまち。まちで商業活動をする人々が道普請までしたといいます。村岡さんたちは特に、運動家ではなくて普通の善き市民として、まちのことを思って行動なさってきた。それが旧市街地のまちの人々の凄み、プライドだと感じ、畏れ尊敬しています。

 

Q2. 自分が住みたいまちになるよう、身近にできる事は何ですか。

斉藤:札幌で展覧会をする機会はそう多くなく、意識的にセーブしています。見る人が身内のような方だと、どうしても妥協を許してしまいそうになる。反対に、誰も自分を知らない人の中で挑戦する時は、プレッシャーが大きくて大変ですが、振り返れば成長が早い。同じ時間を使うなら外の環境を知って自分の場所を知るというか、わかっていく気がする。札幌のアーティストが外で活動して経験して、その情報を共有することはとても大事だと思っています。ドイツのシュテーデル美術大学にいた頃、自分のまちで活動するという意識はあまりありませんでした。学生も教授たちも、環境がよければロンドンでもベルリンでもニューヨークでもポンと移住してしまう。常に住む場所はその時の自分のレベルアップに必要な場所を選ぶ。ドイツ人だからドイツで活動するということではなかったです。僕にとってはふるさとは大事なので、いずれ札幌にフィードバックできればと思って行動しています。

深江:アーティスト・イン・レジデンスというのは、よそのアーティストをまちに招いて実際に住んで活動してもらうのですか。

斉藤:はい、1ヶ月か2ヶ月、長ければ半年住む事もあります。そういうことができるまでのアートは美術館やギャラリーで発表するのが一般的でしたが、今はもっと裾野が広がって、ギャラリーのないまちでもアーティストが1人入るだけでまち全体の雰囲気が変わることも理解されていますし、関わるボランティアやまちの人がアーティストという生き物に初めて触れて、めいめいの暮らしにちょっとだけポジティブな要素が増えることもあります。

深江:斉藤さんの作品の黒猫がここに来てから、アンジュ自体もちょっぴり違う味わいになりました。あんなに巨大であんなにかわいくて、日常の縮尺をぐらつかせる奴が、二階にひそんでいる(笑)。現代アートって、そんな愉快さを味わった人同士の共感のコミュニティのようにも思えてきます。何かレジデントのエピソードをお願いできますか。

斉藤:ええと、台湾には2014年に初めて滞在し、その後2016年、2017年とコンペに応募して続けざまに行きました。台湾で一軒、仲良くなった喫茶店のご主人のコーヒーがおいしくて毎日通っていました。次に行く時は応募書類に推薦文が必要なんですが、普通は現地の評論家の方などにお願いするものなんですが、僕はそういうのがちょっと苦手で。結構落ちるコンペなんですが、その喫茶店の方に推薦文を書いて頂いて、通りました。地域にとってこの人が来る事にはとても意義があるという風に書いてくれて、作品を理解して下さって、すごく嬉しいし有り難かったです。

曽我:一昨年お話させて頂いたのとさほどアップデートしてはいないんですが、今日の川口さんのお話がすごくインパクトありました。例えば川口さんはスペインのバルの魅力をみんなに紹介したい。同様に僕ら日本人はインバウンドの方々に、日本の魅力って何?と聞かれて答えられなかったりする。インバウンドが見て面白いと思うのは居酒屋。おつまみって何?と聞かれて、アペリティフかな?とか、ごはんとお酒の関係は?とか、向こうにとっては不思議な世界で、クールだと。日本はなぜこんな面白いものをもっと紹介しないんだと。向こうではここのバルがいいと勧めるのに、日本人は居酒屋をお勧めしないことが多い。日本人の感性、スペイン人の感性。それぞれアイデンティティがあって文化や暮らしがあって、それが魅力なのだと思います。日本でいうと味噌醤油漬物、北海道なら例えばニシン漬け。それはニシンとキャベツがあって、農家がつくりやすい季節に漬ける。じゃあニシン漬けを誇りに思うかということです。信州なら信州味噌を使わなくちゃいけない。海外の旅行者には、輸入小麦で作った讃岐うどんをなぜ自慢するのと聞かれてしまいます。そういう僕は昔、カリフォルニアのワイナリーに行って、これボルドーみたいに美味しいですねと行って怒られましたけど…(笑)。僕たちの世代は日本人の感性に誇りをもちそびれたのかもしれません。そういう課題は次の世代には変わっていくのではないかと思いますし、教えていかなくちゃならない。地域の神社のお祭りも大切です。欧米では神の下に自然がある。日本では自然が上位にある気がします。そういう感性と、食で言えばうまみ。日本人の農家さんとはうまみの味覚でわかりあうことができるけれど、海外の人たちは言葉ではいうけれど実際はわかりきらないと思います。だから北海道であれば昆布の種類の違いを味で感じるだとか、そういうことが価値がある。外を真似するのでなく、次の世代にぜひそういう教育を大切にお願いしたいと思います。

深江:伊藤さん、私たちでも小さく行動を変えていく事はできるでしょうか。


伊藤:「私たちのまちを変えるにはどうしたらいいでしょうか?」というテーマの講演依頼をたくさん頂きます。貴彦さんのお話の通り、ずっと住んでいて気づかないという方が多い印象です。映画「ぶどうのなみだ」(2014)の製作のきっかけは、空知でお世話になった方への恩返しを考えている時に、昔ブラックダイヤモンドと呼ばれた石炭が取れた空知で、現在は移住者によってワイナリーが増えているということからでした。よその人が新しい挑戦をすることを受け入れた結果、ブラックダイヤモンドは石炭からピノ・ノワールになったと感じています。また、「しあわせのパン」(2012)を撮影していた頃、洞爺のメインストリートはシャッター街でしたが、公開後この映画をきっかけに移住し色々な挑戦をしたいという方の新聞記事も拝見しました。ずっと住んでいると気づけないのは仕方がない部分もありますが、新しい挑戦をする方と共に取り組んでいくことが大事だと思います。
深江:伊藤さんのお話から、ベイカーインレジデンスや、シェフインレジデンスの仕組みを自治体がやったら、外からの知恵が山ほど手に入りそうだなと思いました。


伊藤:住みながらまちを変えるというのは大事ですね。

弊社のファンクラブはTEAM NACSのファンクラブではなく、オフィスキューのファンクラブです。所属タレント全員を応援してほしいという仕組みで、全国に3万人、モバイルのファンクラブは4万人いらっしゃいます。

我々の大好きな土地を応援して発信していきたいので、毎年12月に行うファンミーティングは必ず北海道で開催し、全国から約6000人が来道されます。2年に1度開催のCUE DREAM JAMBOREEでは、約23000人が北海道にお越しになるので、タレント、スタッフ総出で札幌だけではなく「あそこにいってみて」「これも食べてみて」と色んな媒体を使ってお伝えしています。東京や大阪でもファンミーテイングを開催して欲しいとの声を多く頂きますが、我々は北海道を発信するためにここにいるので、北海道にこだわります。
先ほどもお話ししましたが、オフィスキューが好きで移住してきた方も少なくなく、実際にお会いすることも多くあります。昨年、厚真町に災害ボランティアにみんなで行った時も、オフィスキューが好きで厚真に移住してきたんです、という方がいて、互いに感激でした。

深江:芸能コンテンツの力、凄いですね! 人が楽しんで、自発的に移住までしている。羨ましいほどのパワーです。

川口:今年の春、これもたまたまスペイン南部のムルシア州イエクラで、バラオンダというワイナリーの上階にあるレストラン。おまかせのみで4時間くらいかけて25品くらい出してくれるレストランに行きました。そこで“テンドン”という料理が出たんですが、似ても似つかない。不思議に思っていると、揚げたものがソースで煮てある。後でシェフとお話しすると、揚げてパリパリにしたものを敢えてソースで濡らす料理が衝撃的だったというのです。同じように、“ニンギョウヤキ”という料理も出ました。人形焼の外がパリッと中がふわっとした状態を表現した料理でした。これも念のためシェフに聞いたら、本物がどういうものかはちゃんと知っている(笑)。その時、自分が外に出て刺激を受けた時、物体でなく意味的なものを取り入れてみるのは、生活を楽しくしてくれると思いました。そして、同じように考えたり行動したりしている人が多いんだということに気づくことが増えています。学生時代に社会学の論文を読んでいた中で唯一覚えているものがあって、それは「人間社会が発達すると人の縁が変化する」という内容でした。人間は血縁で社会をつくり、輸送機関の発達で地理的な縁が広がり、しまいに情報でつながる縁になるというのです。70年代の人が書いたものだと思いますが、まさに今のことですね。それがもう、行き詰まっている。そこで、僕らが情報縁の中にもう一度地理縁を取り戻すことは、そのまちで暮らす人の満足感を高めるんじゃないかなと。これだけLCCが網羅し、国がインバウンド受け入れに熱心な今、自分たちも出かけていくことが求められていると思います。昨日も香港の飛行機会社で帰ってきたのですが、キャビンアテンダントのサービスも異なります。ものには両側面があって、日本的に見るとがさつだけど、てきぱきしているとも言える。日本のサービスだって丁寧なのか遅いのか、見方が色々あるかもしれません。その二面性を自分で捉えられるようになれば、もっと地理縁を情報縁の中に取り入れられるかなと思いながら帰ってきました。

深江:情報を取りに行っても、本当に知っているのかと言われると心もとない時があります。

川口:自分の地域らしさを実感として持っていれば、インターネット社会や地球の裏側で再解釈されたものも、受け入れることができるかもしれない。スペインのテンドンも面白いなと思えるかもしれない。それを知った上で再解釈の発想を面白がることもできる。そのためにはもちろん、日本で天丼が存在し続けないといけない。外務省のように、100%日本的でなければ日本食として認めないと言われたら、それはいいなと思う面と違うなと思う面があります。イタリアのパスタだけが本物だと言われると…。

深江:…たらこパスタは偽物になってしまう?(笑)

川口:ええ、イタリアのパスタの概念があって、それを再解釈することで生活を豊かにしているとも言える。自由な時代ですから、旅に出さえすればオリジナルに会いに行けます。世界の情報にとって、オリジナルが存在してきちんと発信し続けることが、すごく求められていると思います。

深江:というわけで亜由美さん、北海道のオフィスキューのオリジナルであるファンミーティングは、今後も北海道だけで大丈夫みたいですね。


伊藤:オリジナルを発信し続けられるように頑張ります!


村岡:去年、私の所へ勝海舟の末裔だという方が来られました。外から外国人の顔が覗いている。入っておいでというと、勝海舟を知っているかと聞くのです。日本人なら誰だって知ってるよと答えますと、自分はその末裔だというのです。隣の教会に資料を調べにきたが牧師さんが留守だったので、隣にあるうちを覗いたそうです。偶然だけれど、川口さんの仰った縁というのは、人間は案外、直感力を持っていると思います。佐藤国男さんという、宮沢賢治の版画で知られる作家さんが、函館山の裏側に住んでいます。彼は噂をすると必ずやってくる(笑)。冬でも50ccのバイクに乗って。先週は続けざまに3回、版画を買われたお客様に「この作家さんは噂をするとよく来るんですよ」と言って外を見ると、彼のバイクが来てぴたっと止まる(笑)。また2、3日して、別のお客様が彼の版画を買って下さって、入口でお見送りをしながら噂をして、ふと横を見たら彼のバイクだけがある。本人は散歩しているに違いないと言ったら、お客様が、その方ならもうあそこにいますよと(笑)。1週間に3回もこんなことがあると、偶然にしてはすごいと。彼は宮沢賢治に詳しいし縄文文化に夢中だから、直感力がすごいのかもしれません。人と人はテレパシーか何かわかりませんが、伝え合う方法をきっと持っている。行き当たりばったりではなくて、その人のことを想うことから成り立つのです。色々な事や人を想像していると、思えば叶うとか、相寄る魂とかいうことが起こるのではないかと。そうしたことが、まちの暮らしを豊かにしてくれるんじゃないかなと思います。

深江:今日は語りつくせないほどのイメージやヒントを頂き、ありがとうございました。
自分自身もこれからのふるまいが少し、変わりそうな気がいたします。何人かのお客様へマイクをお願いします。//


(会場からのご感想も頂きました)

松浦喜英さん(工房 塒):大沼で、道草しながら油を売っています(会場笑)。夏はジュンサイを取り、冬は氷に穴を開けてワカサギを取り、子どもたちが朝、お父さん今日は何しにいくの?と聞く、そうした暮らしです。周りは毎年、跡取りが帰ってこないなどと言って一軒ずつ住む人が減っていくのに、うちの班(集落)は、山田チーズ工房さんたちのように好きで越してくる人が何軒もいてくれます。僕はこれからどうしようかなと思いながら、ヤギを飼っています。

磯崎亜矢子さん(ニトリ芸術村学芸部長):お話を伺って、寛容さということを思いました。一方で神は見ている、というお話も印象的でした。自分の価値観というものを試されているような気持ちになりました。ありがとうございました。

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