アンジュフォーラム2018 まとめ-3



◆パネルトーク


アンジュ食のフォーラム2018のまとめ最終回、パネルトークをお届けします( モデレーター深江園子)。
パネルには講演者お2人のほか美術作家の斉藤幹男さん、初参加の川口剛さんの2名が加わります。

                                                                                                          ※敬称略、プロフィールはフライヤー画像参照


深江園子: この会にはいつもテロワールという言葉がありますね。北海道食文化研究会という会に携わっていますが、そこで景観と食文化の専門家ジャン=ロベール・ピット先生から「テロワールとは、風土とその上で繰り広げられた人の営み」と教わりました。曽我さん、小栗さんはそこを実体験をもって語られたのだなあと思いながら聴かせて頂きました。

パネルでは今回のテーマ「時の節目」を振り返って今思うこと、そして今後について伺いましょう。ここからのお二人には今までの足取りを短くご紹介頂いて始めたいと思います。



斉藤幹男: 10年前というとドイツに住んでいました。日本の大学を卒業後、’02年から’07年まで在籍した美術大学を卒業した年です。29歳まで学生をしていたんですが、周りの友人たちも30歳過ぎで一度仕事を一休みして来ている人が多く、自分がすごく子どもみたいな感じでした。先生より年上の人もいっぱい居て、職員かな?と思うと学生だったり(笑)。僕のアトリエの写真です。これはドイツの写真家ヴォルフガング・ティルマンスが撮ったもので(ご存知の方もいると思います)、彼の写真集にも収められています。この人も先生で、日本でも著名な方なので緊張していたのですが、向こうでは意外と普通でした。インタビューでは「1年に3日しかカメラを持たない」なんて言ってとてもカッコいいんですが、実際には毎日カメラを持ってた(笑)。日常の中で常に撮りまくって、ものすごい数から選ぶんですね。行ってからわかったことは、現役のアーティストと学生の距離がとても近く、尊敬しつつもライバルという感覚。急に生徒の方が売れたり、先生が落ち目になったりもあります。

  当時つくっていた作品をご覧ください。16mmフィルムを使ったアニメーションです。原画は当時PCは使わず手描きしていました。皆さんの後ろ上方にある大きな黒猫の作品は、札幌のギャラリーで展示したものです。展示終了後、ここ(会場の二階ロフト)にぴったりなので置かせて頂いています。次の作品は「犬の小便小僧」です。型のようなものが見えますが、札幌「天神山アートスタジオ」という場所で制作しました。この場所は犬の散歩に来る人が多くて、犬の残した黄色い跡があちこちにあります。そこに雪像を置いてみようと考え、型を使って市民の方々と雪像をつくりました。札幌国際芸術祭2017 ゲストハウス×ギャラリープロジェクト”では、あるゲストハウスのエントランス上に大きな魚のオブジェを置き、建物の中で映像を上映しました。普段は立体やアニメを制作しているのですが、2012年には札幌の地下歩道空間を10日間ジャックして、合成撮影で映画を制作しました。毎日、そこに来る子ども達の姿や描いた絵を取り込んでひとつの映像にするものでした。10年前は自分のために作品を作ることが多かったのですが、今は誰かと一緒につくる、作品の中に人を巻き込むといったことが多くなっています。ドイツから日本に来て、アートがただギャラリーに展示するものでなく、まちおこしの一面を持ったり色々な人が関わっていく物事になり、僕自身も何かちょっと文化を共有するような場面に呼ばれるようになりました。自分の作風は変わらないけれど、この10年で少し視野が広がったと感じています。



深江: 大きな黒猫は今やアンジュの撮影スポットですね。作品があることで、この空間全体が違って見えます。それを誰かと一緒に見て感じることも面白くなります。オープニングでご覧になった、フライヤーの中の絵が動き出すアニメーション、これも斉藤さんが用意して下さいました。

川口剛さんは、さっぽろタパスという企画で街を面白くし続けた方で、私の友人でもあります。



川口:小栗さんが八雲に戻っていらしたその頃、私はこの世に出てきました(笑)。神奈川県逗子市、ここは石原裕次郎さんのイメージがあるようですが、東京まで電車で1時間、横浜まで30分のいわゆる郊外。そこ自体にまちの核心機能はなく、何をするにも車や電車で出かけなければという場所で生まれ育ちました。20年前、1998年9月に私はアトラス山脈の中にあるベルベル人集落で、モロッコミントティー(通称ベルベルウイスキー)を飲みながらゴロゴロしていました。モロッコはイスラム教なので、日が暮れてから地元の若者と一緒にお酒を飲むというのがワクワク感がありました。なぜこんなことをしていたかというと、大学で都市計画を専攻し、都市というものにとても興味があったのです。当時日本で建築というと建てること優先で、今あるものを解釈することは学問としてあまり成立していませんでした。私は子どもの頃から旅好きで在学中スペインに行ったのですが、現地のまちの機能に非常に興味を持って調べてみようと思ったんです。それで大学を出てしばらくして地中海、フランス、イタリア、スペイン、クロアチア、そしてモロッコと、まちの人と一緒に行動しながら、まちを観察していたんです。するとどこにいっても街角にお店があり、ドアを開ければカウンターがありみんなが立ち飲みしながら話している。おじさんもベビーカーを押した若い夫婦もタバコを吸うおばあちゃんも、ひたすら一緒に飲んで話をする。それが都市というものを学んだ自分には衝撃的でした。郊外で育った僕の感覚では、家がありバス停があり駅があり、飲む場所はその先にある。

  そもそもバルに出会ったのは少し前の1996年、スペイン南部アンダルシア地方のマラガでした。地元の人と二人でテラスで飲んでいたら、通りがかった知人が一緒に飲もうよと。さらに人が集まっていつの間にか10人くらいで飲みました。当時のマラガは人口60万人くらい、つまり小さなまちではありません。そんなまちのど真ん中で飲んでいてなんでこうなるんだろうと。気になってしょうがないものだから、ひたすら飲んで食べて観察しました。グラナダではバルに入り浸り、誰がいつ何を飲み食いしているのか、みんなどこからきてどこへ行くのかなど、20人くらい追跡(笑)したところ、バルを中核に住居や職場がとても近接していることがわかりました。お客は飲食だけが目的でなく、そこに必ず誰かと話すというコミュニケーションがあることもわかりました。この調査が「スペインのバルがわかる本」になり、そうすると様々な人から問い合わせを受け、わからないことを調べているうちに、バルおたくのようになってきました。その後2011年に、これを読めばバルに行ってもコミュニケーションが取れるよという会話帳も出しました。

  前後しますが、僕は2003年に北海道へ来ています。それまでは逗子に住んで東京で働いていました。2006年に「さっぽろタパス」というイベントを開催しました。スペイン・グラナダのまちと札幌は、飲食店の集積の高さは似ています。でもスペインのように皆さんが自由に飲食店を活用していないのではないかと感じました。もっと気軽に飲食店を楽しみたいと考えて始めたイベントです。毎年100店ほどに参加して頂き、1週間弱で3000人ほどの人がひたすら食べて飲んで歩く。お店には飲み物とおつまみのセットを出して頂いて、皆さん非常に楽しんで頂きました。2007年には「さっぽろオータムフェスト」というイベントを始めたいということでご相談を受けました。それまで札幌の屋外イベントでは、プレハブの箱に窓があって飲食物を手渡す形式でしたが、せっかくならもっとコミュニケーションをとりながら飲食を楽しむ方法をと、カウンターバーを提案しました。今週末からまた始まるので宜しければお越しください。こういう形を実践したところ、オープンスペースで行う仮設イベントが増えて嬉しいことだと思っています。2008年には色々な方に株主になっていただいて市民60人の出資で「Barcom Sapporo(バルコ札幌)」という街角バルを出しました。道産食材や道産ワインをコミュニケーションツールとして実際に扱えるということ、そしてイベントにはない毎日のコミュニケーションが生まれた10年でした。

  次に何をするのかといいますと、スペインにはずっと続けて行っています。だんだん小さな村のバルに行くようになり、そうするとワイン(ぶどう)畑の真ん中にもバルがあって、ワインを造る人と知り合うようになり、僕のワインも飲んでみてよ、となります。そうすると都会のバルで知り得なかった深い情報に触れるわけです。それが面白くてひたすら農業地帯に通っています。そして、スペインやイタリアに僕が行って楽しいと感じるのと似たような感覚を、北海道に来た人も楽しめるのではないかなと考え始めました。札幌に来る人のまちのエントランスとして「Barcom Sapporo」がある。さらにその先の農業地帯へ訪れる人が滞在する場所がつくれないか。そんな試みとして、2019年の5月に三笠市の畑の中に飲食や滞在ができる場所をつくろうと農家さんと一緒に動いています。



深江: オータムフェスト以前は、大通公園ではビアガーデン以外、お酒は飲めませんでしたね。



川口: スペインやイタリアにいると、まちの人は日曜日なると広場の教会に出かけます。帰り道に飲んだり食べたりもします。そうやって過ごすと自分はこのまちに所属しているんだという実感が持てます。その感覚で行くと、時計台と並んで札幌のシンボルである大通公園でお酒が飲めないというのは、まちにとって大きな損失じゃないかと。そのあたりを深江さんと朝まで語ったりしてました(笑)。



深江: 他の皆さんにも、これからのお話を伺いましょう。前回のテーマは受け継ぐことでしたが、その先にこんなこともあった、というお話でもよろしいかと思います。



斉藤: 今ちょうど、次の催しに出す構想を練っている時期です。10年先って正直、何も見えないほど先のように思います。ただ、こうなっていればいいなという思いで言えば、もうちょっと作品が自分の手を離れて、誰かのものになっていくことをイメージしています。作り手から言うと、作り終わった後というのは、自分としては一度興味がなくなるというか完結していて、気持ちは次の新しい作品に向かって行きます。それは作品を粗末にするという意味ではなく、誰かが活用してくれるような存在というか。作品を作る時の考え方がちょっと変わってくる気がします。アートはすごくたくさんのものが生み出されていて、名作といわれるものでも美術館に収蔵しきれないほどだそうです。その中で、誰かに何かのきっかけを与えるものをつくりたい。自己表現欲がなくなってきて、(作品が)みんなのものになりたいという気持ちです。



川口 キティちゃんもドラゴンボールもキャプテン翼も、ですね。



斉藤 日本で忘れられているキャラクターがよその国で愛されていたりしますね。日本は回転が早い、消費が早い。すぐに「懐かしい」という評価になってしまいます。



深江 日本のワインのトレンドも早いんですか?



曽我 無作為の作為というか、結果としてこんなのができちゃったというのもありかなと思います。なんとなく自分がこう言うのが好きだから、という自然体の造り方。ストイックであるほど良いものができるのかもしれませんが、作り手はそれが翌年もその次も続くのかどうかも考えてしまいます。小栗さんがおっしゃったように、心の余裕があればと思います。アートと同じではないかもしれないけれど、先ほどお話ししたブランドノワールも狙って作ったものではないですし、うちは醸し期間が4050日と長いので理由を聞かれるのですが、その間に畑に出て樹の剪定作業をするためで、造りより自分の作業優先なんです。



深江 暮らしありきのワインが成立するとしたら、素敵な農的生活でしょうね。



曽我 今最も強いプレッシャーは、量を増やすことですね。もう少し増やすと違う世界になるでしょうね。現場に出ない経営者に徹する方法もあるのでしょうが、それは違うし、別な大変さもあるでしょう。できるだけ聞かないことにしています(笑)。



小栗 農というのは畑の土を地盤として太陽エネルギーと酸素で回していける仕事だというのが原点で、そこは変わらないでしょう。今は労働力の部分をIoTAIで肩代わりし始めていますが、自分では五体五感で動かしながら繋げていく農業って必要かなと思います。うちの地域でもそうですが、ロボットで600頭絞る、20数億かけて1200頭絞る、そういうのもありだけれど、シンプルな家族農業を連綿と続けて行く、それは経済がどうなっても安心安全なものをつくれる道じゃないかと、この歳になって考えています。若い時は男のロマン派だったけど、放牧に変わってから奥さんも美しく笑うようになって自分も罪滅ぼしをしながらね(笑)。北海道指導農業士の役目の中で、若い農家と語り合うことを大切にしていこうと思っています。未来を考えると言うと、若い人の為になることは何かないかなと考えている、そんなところですね。



深江 小栗さんのお話にあった酪農家の方々は、牛と家族だけで生産活動が成り立つかを考えてこられた先輩だと思います。曽我さんは周りの農家さんや新規就農者の方が真似したくなる、持続できるやり方をと言われましたね。



曽我 あえて言うと、北海道の農家さんは働き者すぎかも…(笑)。本州の農家とはちょっと違う気がします。初めて神社の会合に出た時、ある先輩が昼ご飯の後にビールを飲むと。そういう風になりたいと言ったら、後でご本人からお叱りを受けてしまいました(笑)。うちの地区に移転してこられたレストランのシェフは、夕暮れ時にご近所の農家さんが一杯飲みに寄ってくれるんじゃないかと待っていたけど、誰も来ない(笑)。暗くなるまで働くのが当たり前で、夕方ちょっと飲みに行くなんてありえないという方は多いです。僕らの世代は、北海道は大きいから忙しいんじゃなくて、大きいからゆとりがあると思われるようになりたいです。本州であれば1haあれば果樹農家として成り立ちますが、北海道では国の融資制度なども違うので4ha以上かなということになりますし。大きな農地を管理するからまた、暇がなくなってしまいます。休めるのがいいね、という雰囲気づくりもしたいなあと思います。



深江 札幌で人気を博したイタリアンレストラン「Sagra」の村井シェフが今年、曽我さんと同じ地区に移転されましたね。念願かなってワインブドウ畑の中にオーベルジュを開かれたけれど、では地元のお客様はどうかということですね。集客というと、三笠の萱野プロジェクトはさらに大変かもしれませんね。



川口 そうですね、三笠は炭鉱全盛期に人口6万人を超えた市ですが、今は8000人台。日本でここまで人口増減を経たことがあるのは夕張と三笠くらいかもと言われます。僕らの計画はチャレンジではあるけれども(地域を元気にできるかも)……。昔、イギリス南西部のウェールズに行った時、パブで仲良くなった相手が酪農をしていると。それで、トラクターが故障したらどうするか聞いたら、「コールセンターより、パブにビール飲みに行って修理できるやつを探すんだよ」と(笑)。おいしく飲み食いするのは体の欲求ではあるけれど、地域を持続可能な形に保つツールでもあるんですね。一方、札幌で店を始めてみたら、立ち飲みのお客さんたちが窓のない奥のほうへ偏る。理由を聞くと、「こんな早い時間から飲んで外から見られるのはちょっと」と言うんです。就業時間終わってるのに(笑)。そういう従来の、無理して頑張る日本から、もうちょっと楽な、持続可能な世界になるといいなとは思いますね。



斉藤 川口さんのバルの写真を見ていて思い出したのは、お酒飲んでいる人とコーヒー飲んでいる人、大人も子どもも食べたいもの飲みたいものがちゃんとあって、誰がいてもOK、僕のようなよそ者が行っても誰も気にせずにいてくれる。みんなバラバラでそのまま居られるのが心地よかったのを思い出しました。



深江 皆様のお話を伺って、私も今後を考えてみようかという気持ちになれました。



小栗 実は、先ほど紹介した三友盛行さんを範として去年、八雲、せたな、北檜山、喜茂別の酪農家が集まって酪農研究会ができています。北大の学生や新規就農者、ベテラン酪農家まで集まって現場の空気に触れて一緒に勉強会をするのですが、その中で知り合った美深の塩崎さんという若夫婦が新規就農して7〜8年になります。ここは穀物を一切やっていない上に牧草地に肥料もやらない。牛が自然の草を食べる中で酪農が成り立つか、やっています。働き方も、海外から来るウーファーを受け入れている。スイスから一家で来たウーファーのところに、今度は美深の家族が行く。そういう暮らし方をしています。なかなかメディアには乗らないけど、酪農に誇りを持つ、新しい家族が生まれているんですね。



曽我 日本は今、ワイナリーがたくさんできて飽和状態じゃないかと言われますが、新しいワイナリーは規模が小さい。山梨で新規開業となると20万本以上ですかというボリュームですが、僕らのような農家ワイナリーの多くは一万本規模です。うちらの規模が20軒できてやっと府県の中堅クラスに相当する。危機感を持つとすれば100万本クラスかもしれません。クラフトビールやクラフトリカーのような動きもあります。大きな蔵は小さな蔵を味の面で批判しがちです。失敗もしながら模索することもできます。大手は枠組みを外れることはできません。日本酒は今、つまらなくなっていると感じるのですが、ひとつには賞をめざす造りが原因かなと。ワインはなんだこれ、と言われるものも含めて次々にできることで進化する可能性を感じます。面白がって応援して頂いて進化する、北海道はその余地がある。ワイン特区制度も含め、そう思います。



深江 テーブルワインも含め色々なワインが増えると、食体験も豊かになりそうです。



川口 斉藤さんが言ってくださった、バルの中は多様性があるというのが象徴的で、そうなったらいいのになと思います。ワインについても多様感というようなものが欠けるように感じています。ワインの本で学んだりワインスクールで習ったりするのは僕はあまり得意ではないのですが、実際に海外の産地で飲み歩いているとものすごくたくさんの情報に触れる事ができます。そこで自分なりの価値観に自負をするんですが、どうも他の方から浮くんですよね(笑)。ただ、多様性は持続性に続くのではないかと思っていて、右向け右が永久に続くわけはないんですよね。農業について僕が語る立場ではないけれども、例えば大規模化のみが正解とは言えないでしょうし、家庭菜園+αのようなことで日本人の胃袋を支えきれるとも思えない。色々な状況に耐えうる多様性があれば、自分も存在できるのかなと感じます。個人的には20年前よりネット環境が普及したことで、なんでも体験したような気になる、ネットで見ただけでレストランを語る人がいる(笑)。リアルで足を運んで口にしてという体験に価値を見出していくと、北海道は面白いと思います。東京の友達がワイナリーに行ってみたいというので、どこか聞いてみるとやけに詳しい。それ、全部飲んだのと聞くとどこも飲んだ事がないというんです。小栗さんのお話を聞いて、自分の店をあけすぎるのはよくないな、自店でもリアルなコミュニケーションは保ちたいなと反省しました。



斉藤 自分に対する戒めのような話なんですが、キャリアを積んでくると技術的にも気持ち的にも計算ができるようになってきます。それだけに、やったことのない挑戦が必要だなと思います。10年後にも楽をせず、自由な精神でつくりたいですし、自由に飲み歩きたいです(笑)。



深江 ここにいる皆様が今直面していることや悩み、すべてが斉藤さんのような表現者のテーマになるのだと思うとワクワクします。ご質問をどうぞ。



会場・丹羽規子さん (前「グランヴァンセラー」店長)私は長万部出身で、母は八雲町出身です。今日のお話を聞いて、観光を通じて北海道のリアルな食や体験の豊かさをもっと伝えられたらなという思いが一層強くなりました。ここに集まっていらっしゃる方々と一緒に、そのような発信ができたらなどと思っています。



会場・磯崎亜矢子さん (美術作家、ニトリ 小樽芸術村学芸員)今日は多様性、地域に根ざすというお話を伺いました。おじが別海で大規模酪農を営んでいるので、全然違う酪農の形があるのだろうと思いました。私は学芸員として鑑賞教育に取り組んでいますが、アートは人と違うことに価値観があります。子どもがアートに触れることで自分の見方を持ち、自分と違う見方も互いに受け入れ合えると考えています。バルの中にある多様性のことや、ワインの世界の色々な価値観について伺って、同じものを見てもそれぞれ違った感じ方をしていいんだという点に共感を覚えました。



 

交流会

1日の締めくくりは恒例の立食ブッフェ交流会です。後志(しりべし)産食材で西村代表が心を込めて調えた数々のブッフェ料理、ドメーヌタカヒコのワイン、黒松内町「マザーネイチャー」丸口由美子さんのパン、同じく「レストラン キリカ」大谷シェフの大鍋パエリア、札幌「バンドカフェ」高坂美子さんの台湾茶、そしてアンジュのチーズを囲んで語らい、心もお腹も満たされて貸切バスで帰途につきました。来年もまた黒松内でお会いしましょう。//

コメント